スーパーマーケッ子のヴェルサス日誌

ゲーム・お菓子・ときどき仕事

映画学 の巻

私や私の世代より上はレンタルビデオ

映画館に映画を観に行くという機会が

絶対に今より多かったと思う。

今はサブスクの普及によって

映画に触れるのがもっともっと容易になっていると思う。

私自身、サブスクのおかげで

昔よりもずっと映画を観る機会は増えた。

 

が、しかし、

定額み放題って、

一本一本を大切に観なくなりがちな気がする。

いまいち気乗りしなかったら

途中で止めたり、

トイレ行きたくなっても平気で止める。

 

その止めたタイミングでそのまま観るの自体やめちゃったり。

 

ま、当たり前っちゃあ、あたりまえだよね。

だって、定額制でただみたいに感じるもん。

興味に沿わない作品だったら観る時間すらもったいない。

これ、現代的な考え方。

 

いい事であるけれども

なんというか・・・

一本の映画に向き合う気合いみたいなものが

低くなってる。

ちゃんと映画館にお金払って観に行っていた頃って

途中で席立つのも惜しいから

ちゃんとトイレ行って万全を期していたし、

自分で選んだ映画という手前

意地でも目に焼き付けて「面白い」という感想を持って帰ろうと

していたように思う。私だけかもだけど。

 

こんなご時世だから、

ともすると名作映画と向き合わずに

「古いし」とか「つかみがなあ」とかで

見落としちゃう人もいるだろうな、とも思う。

 

そういう時代だからと言ってしまえばそうだから

秒で切り替えてって名作と出会うのを待つのもテかもだけど

それで秒で名作を切り捨てるのは

映画から感動をもらった私としては

他人事ながら不本意だと思う。

 

なぜ長々とこんな話をしたかというと、

ふとした話題の折、

羅時をパーソナリティの

男はつらいよについてのざっくりした感想を

耳にしたためである。

 

「まいど寅さんが旅から帰ってマドンナと出会って

一目ぼれして振られる。傷心してまた旅に出るっていう

昭和のノスタルジーなんだよね。」こんな感じだったかな。

 

や、そりゃそうだよ。

なんも間違ってない。

だから50作あっても

パターンてのは基本一緒だよね。

今見て、真新しさは皆無だし

おととしの年末に出た最新作の「お帰り寅さん」に至っては

結構酷評だった。(あれはあれで全くの別物だと思うけど)

 

真新しさがないし、開始5分で人の気持ちをぐっと

つかむ作品ではないのだけれども

・・・てか、開始5分を毎度くだらない寸劇(夢オチ)で

消費するところからスタートしちゃってるもんだから

現代価値ではかればスキップ必須の映画とも思われる。

が、その現代的感覚でこういった作品を観ないのが

これからの映画評論のスタンダードになってしまったら

感覚の偏ったセンスの映画作品しか

世の中からなくなってしまう気がする。

 

2時間くらい、脳みそを全く動かさず

時々来るしょうもない笑いを

ぼーっとながめる余裕、というかムダが

このせわしない現代にこそ必要なのでは?

と考えてみたりするのだ。