スーパーマーケッ子のヴェルサス日誌

ゲーム・お菓子・ときどき仕事

おやすみに いい映画と の巻

 

 

やっと観れた。

映画館でなんか観に行った時に、予告編で流れたときに

 

「面白そうだなー」と思いつつも公開期間に縁がなくて

結局現在に至ってたのだけれど、

ありがたいことにプライムビデオに登場してくれた。

 

そんなに前情報を仕入れずにいたのだけれども、

架空の事件でなくてグリコ森永事件がモデルだったようだ。

グリコ森永事件の真相といった感じで展開される話なんだけど

「こういう真相だったんですよ」という風に言われれば

もう、そうとしか思えなく感じた。

この脚本書いた人、犯人じゃね?(爆)

ま、話の本筋はそんなだけれども

登場人物の行動がありえねーとは思った(笑)

「なんでそんなに口軽いの?」と。

私は普通に生きているからわからないけど、

例えば何かの事件の情報を持っていたとして

新聞記者やリポーター、雑誌の編集者に情報を

提供することになった時に、

私からAさん、AさんからBさんみたいに情報を

つないでいくんだろうけど、

「あなたから聞いたとは口外しません」と言うとして、

この映画のように、確かに名前は出ずとも

私しか知り得ない情報を提供したとしたら、

「あいつ口軽っ」ってなるじゃん。

ケースバイケースだけど、誰がバラしたか

知ってる人は知ってるわけで

情報提供した段階で幾分自分の株は下がるんだな。

この映画通りの取材のシステムだとしたら

無いか知っていたとしても、とても

情報提供なんてできない、って感じた。

 

あと、映画に対して全然別の角度の感想なんだけど、

前の映画の感想ブログでも言ったと思うんだけど

やっぱ映画観ながら先の展開とかを推理するでしょ?

そのときに、多分作者側も意図しない

ミステイクが発生するのは

やめておいた方がいいと思う。

 

というのはある登場人物の子供時代の写真の子が

星野源、そっくりにしか見えんのよ。

当然、この子は星野源の役の少年時代とは

違う子なわけで・・・

でも、似てる子をわざわざ写真に使うということは

「実はこっちの子が星野源なのでは?」とか

見当違いな推理をすることになる。

これが制作側のにおわせならいいけど

最後まで展開観てもそういうことじゃないし。

これはもったいない気がする。

 

とまあ、こんな感想だけど

私的には題材も興味深く、多少きれいごとではあるけど

2時間くらいのめりこむいい映画だったと思う。