スーパーマーケッ子のヴェルサス日誌

ゲーム・お菓子・ときどき仕事

ウラジオストク日記 の巻

ブログを書こうと思ったものの

ただただ仕事に明け暮れる一日な上に

たいして感情が揺さぶられるようなエピソードもなく

どうしたもんかなー。となった。

 

なんかブログにして面白味のかけらでもあれば、と

我が家の納戸へ向かうと、思い出のアルバムがあった。

かれこれ十数年・・・いや二十年

近く開いていないアルバムを今日のネタにしてみよう。

 

 

おお、いまや話題の的おそロシア

わたしが十数年前に留学していた

ロシアは極東、ウラジオストクの写真達。

こんなのあったのか。

 

でっかいアルバムまるまる1冊埋め尽くされていた。

当時の私よ、どんだけ写真撮影してんのwww

ただ、ロシアの文化を伝えるような

風景写真はほとんどなく、

学生寮のお友達とワイワイしてるような

どこで撮ったって一緒みたいな写真がほとんどだったので

面白そうなものをピックアップしていこう。

見えますか?

郊外の未開発地帯で野良の馬がいました。

この後この馬に数十メートル追いかけられて

一緒に探検に行った日本人の県庁から派遣された男性は

後頭部を噛まれました。

彼は今何をしているんだろう?

ウラジオストクは坂の多い町でした。

このなだらかな坂を上っていった先に

私たちの学生寮があった・・・と思う。

この坂の途中に大きな穴が開いていて非常に危険だった。

いかに日本がインフラ整備がしっかりされているか

そういうことをこの国で学んだんだったわ。

・・・これも学生寮の近くだったかな。

なんか、小さな本屋さんがあって、

とくに考えずに表紙のタイトルを声に出して読んだら

私「んー・・・エ・・・ロ・ティー・ヵ・・・エロティカ!」

店内で大恥をかいた思い出w

 

日本人会ってのがあって、

ウラジオストクに住んでいる日本人の集まりみたいのに

読んでもらってみんなで近くの島に船旅を

する、みたいな企画があった。

右の男性はその島の原住民の方なんだけど、

ニコニコしながら「葉っぱいるか?」と言われて

葉っぱが何かわからずきょとんとしていたが、

あとで葉っぱとはマリファナだかなんかだと知って

コエーとなった記憶がある。

たしかにこの人は「おげんき」だった。

2005年の新春か。

31日の夜は町が祭りで大騒ぎ。

その反動か、午前中は町がすげー静かだった。

そんな映像を収めた写真。

その足で海を観に行った。

当然ウラジオストクの海は凍る。

海の上をこの季節は歩ける。

・・・らしい。やったことないけど。

年明けの学生寮近くの町を見下ろす風景。

帰国目前に感慨にふけってよく歩いた道を撮ったんだったか。

 

載せたい写真はまだまだあったが、

とりあえず今日はここまで。

 

反響があれば、また出します。