スーパーマーケッ子のヴェルサス日誌

ゲーム・お菓子・ときどき仕事

おとなも こどもも、おねーさんも の巻

MOTHER2クリア!

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幼いころから通算して

何度やってきたことか。

 

スーパーファミコンのソフトだから

今の子供とかはきっとやったことないんだろうけど

私の中では名作中の名作。

 

未プレイであり、これから挑戦することを

SNSに書いた中田敦彦氏に対し、

本ゲームのシナリオを手掛けた糸井重里氏から

「これからMOTHERをやれる、そういう幸せもあるね」

というようなリツイートをされたようですよ。

 

同感しかないね。

大人になってわかる「あたたかさ」とか

逆に「コワさ」とか、とにかく気づきの多いゲームなんだよね。

 

さて、

芸能界にもファンの多いMOTHER2なので、

エピソードもわんさか聞くことの多いゲームだけど、

割と最近になって知り、

それにより、さらにこのゲームが好きになった

エピソードがある。

 

それは、岩田 聡(いわた さとる)さんという

このゲームを作り上げた偉人のお話。

 

このMOTHER2というゲーム、

開発当初、複雑なプログラムのため

処理が追い付かず画面を動かすこともできない

という非常事態に見舞われていたそうだ。

 

このままでは発売を断念せざるを得ないとなっていた

危機的状況に登場したのが、

この開発チームと親交のあった

当時、ハル研究所という会社に在籍していた岩田聡さんだったそうな。

 

ハル研究所を知らない方のために

すこしだけ説明しておくと

今だと、星のカービィとか有名なゲームを作った会社。

スマブラをつくった桜井政博氏も在籍していたことでも有名、かな?

 

実は当時、ハル研究所もまた危機的状況にあったらしい。

それはそれはたいそうな負債を抱えており

ともするとハル研究所がなくなってしまいそうなところまで

追い詰められていたとか。

 

そんな状況もあって岩田さん自身も相当追い詰められていたそう。

こんな状況でよそから助けを求められた時、

あなたならどうします?

・・・言わずもがなだと思いますので、

話を進めるんだけれども。

 

岩田聡さんはMOTHER2開発に加わったんですって。

考えられますか?

もちろん自社のプロジェクトだってあったでしょうし、

時間的な余裕は皆無だったはずなんだ。

 

でもやったんだね、この人はそういう人なんだ。

そして、ずばりこのままでは完成できないことを告げた上で、

「方法は2つあります。ひとつは今作っているものを活かしながら

 手直ししていく方法です。これだと2年かかります。

 そしてもう一つはイチからつくり直すというものです。

 これならば半年でやりますが、どうしますか?」

 

このように提案したんだって。

スタッフは後者の案を取り、岩田聡さんにデータを預けた。

そして有言実行。半年後にはちゃんとゲームとして成り立っていた、と。

スタッフは騒然だったとか。

そりゃあそうだよね。

発売自体頓挫するところまで来てたらしいもん。

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こんな気持ちだったんじゃないでしょうかね。

 

こういう人だったから、

周りの人から大変好かれ、尊敬されていたんだよなあ。

 

MOTHER2にあふれるあたたかさが

より一層強く感じられる、そんなエピソードだと思いませんか?

 

未プレイの方は、ぜひ!

さあ、そこの

おとなも こどもも おねーさんも!

 

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